濱田 庄司「塩釉櫛目色差茶碗」「塩釉鐵砂胴紐茶碗」解説 A-21

濱田 庄司「塩釉(しおゆう)(くし)()色差(いろざし)茶碗(ちゃわん)」・

塩釉鐵(しおぐすりてっ)(しゃ)(どう)(ひも)茶碗(ちゃわん)」解説

塩釉(しおぐすり)(くし)目色差(めいろざし)茶碗(ちゃわん)/φ114×H106


塩釉鐵(しおぐすりてっ)(しゃ)(どう)(ひも)茶碗(ちゃわん)/φ107×H107

◆濱田 庄司(1894-1978)の経歴

神奈川県生まれ。1913年(大正2年)東京高等工業学校(後の東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山に師事し窯業の基礎科学面を学ぶ。1916年(T5年)に同校を卒業した後は、京都市立陶芸試験場にて釉薬の研究等を行う。この頃、 柳宗悦(やなぎむねよし)、バーナード・リーチと出会う。1920年(T9年)にはイギリスに帰国するリーチに同行して渡英。1924年(T13年)の帰国までイギリスで作陶活動をおこない、帰国後は沖縄県の壺屋窯などで学ぶ。1930年(昭和5年)からは、深い関心を寄せていた益子町で作陶を開始する。ほとんど 手轆轤(てろくろ)のみを使用するシンプルな造形と、釉薬の流描(ながしがき)による大胆な模様を得意とした。1947年(S22年)益子町に昭和天皇の戦後巡幸(じゅんこう)があり、昭和天皇に益子焼の特質について奏上する機会を得る。1955年(S30年)2月15日には第1回の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。1964年(S39年)に紫綬褒章、1968年(S43年)秋に文化功労者・文化勲章を受章した。1978年(S53年)1月、益子にて没。享年83歳。


◆「塩釉(しおぐすり)」とは・・・

塩釉とは陶磁器の装飾技法のひとつです。1300℃まで温度をあげた本焼きの窯の中に塩を投入し、燃えた塩から発生するソーダガスが素地中の珪酸分と化合してソーダガラスを生み、それが器の表面に粒状で且つ艶やかなガラス質の被膜を作りだすというものです。濱田の塩を投入する方法は、塩を新聞紙に包んで窯に投げ入れるといった方法を取っていました。この方法だと粒の溜りなどに不規則な野性味を見せることができます。塩釉による発色は、多くの場合「青色」になることが大半ですが、素材や焼成雰囲気の違いにより「茶褐色」になる場合もあり、上の二種類の茶碗は全く違った顔を見せております。

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